せとうちDMOの事業に参加

国土交通省が支援するせとうちDMO(瀬戸内観光推進機構)の事業に、アクティビティ設計の専門家として参加しています。先日、2泊3日のモニターツアーに同行してきました。

神戸(有馬温泉)→姫路(書寫山圓教寺)→小豆島(碁石山/西之瀧)→高松(四国村/栗林公園)。僕の企画に対する、国内外の旅行会社さんからの率直な意見は、継続性のあるアクティビティ運営に関する示唆に富んでおり、大変参考になりました。ご協力いただいた各地の事業者さま、行政関係の皆さま、10名の専門家・事務局の皆さま。そして、貴重な機会をいただいたリクルートライフスタイルさま、せとうちDMOさま、国土交通省さまに、感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。

道中、モニターのみなさんの反応を目の当たりにしながら、いくつか感じたことがあったので、備忘録としてここに書き記しておきたいと思います。

 

 

差別化

観光はパイの奪い合い。他ではなく、ここの空間を選ぶ「必然性」は何か。それを、伝言ゲームに耐える言葉で、シンプルに、クオリティを添えて表現できるか。ビジュアルが安心要因となって動機付け要因ではなくなった(美しいビジュアルだけで人が呼べなくなった)ように、世相や環境の変化に伴って差別化ポイントも変化してゆく。昔設置した差別化ポイントが放置されていないか。定期的にメンテナンスされているか。

 

個人向け商品

各地にコンテンツはあるが、要は、個人向けの商品になっていない。商品を構成する[売りたい/買いたい/受け入れたい]の中で、とりわけ、「受け入れたい」が少ない。受け入れる人がモチベーションを持つためには、コンテンツを「消費される」のではなく「リスペクトしてくれる」商品である必要がある。個人向けは数をさばけないので、高い単価になる。原価積み上げではなく、高い単価でも売れるように、売値から商品を設計したほうがいい。その時に頼りになるのが、ヒントをくれる「売りたい」人。

 

商品の脈絡

尖ったメイン料理と、そこに至るまでの前菜(準備)、デザート(余韻)、そしてそれらの脈略と一貫性。いきなりメイン料理どーん!ではだめだし、幕の内弁当のように一気に見せてもだめ。料理人や脚本家には多くのことを学べると思う。京都や東京に来る人はすでに準備を済ませているため、メイン料理を並べればよい。他の地域は、いかに準備をさせるか(前菜を食べさせるか)、から考えるべき。秘仏をいきなり見せちゃうのとかが一番残念。

 

 

あえてのシーズ発想

ニーズ発想は大事だが、コンテンツ/人材面で制約条件が無いエリアは、京都や東京など一部のみ。いっそ地域にあるものから発想して、ターゲットを決めた方がいいし、一歩を踏み出すにはそこから。みんな並んで「欧米の富裕層」を狙わなくていい。

 

我田引水

近くまで来ている人の流れを、いかに自分の地域まで引き込むか。運河を作るのは国や県に任せて、そこからどれだけ離れているかを認識し、どのような仕掛けで足止めさせるかを設計する。地域がやるべきはブランディングであり、観光マーケティングではない(予算が余っていれば別)。インターネットの時代ではあるが、身体の移動を伴うので、意外にシンプルに世界とは繋がれない。

 

採用マーケットとの共通項

ほっといても観光客が来る地域、独特の魅力でコアなファンを持つ地域、俄かにブームになるが受け入れる資産が形成されていない地域、そもそも人が来ない地域。それぞれに課題があり、解決策を模索している。実はその構図は採用マーケットにおいても同じ。観光と採用には「対象を一度に一つしか選べない」「広告と実際の乖離が不満を招く」等の共通項があり、採用マーケットには、幾多の先人が試行錯誤してきた解決策のヒントが、豊富にある。採用も、観光も、結局のところテーマは「良い場」になるしかなく、それはマーケティングではなくブランディングの領域。

 

 

観光の価値

短期的には地域消費の増大や交流人口の増加にあるが、全ての地域で結実するわけではない。中長期的には地域アイデンティティの内外への発信を通じたインナーブランディングであり、こちらは多くの地域でやる意味がある。

 

普遍的な感情

人の普遍的な感情と、志向の多様性を分けて考えるべき。世界中の誰もが、個人として尊重されたら嬉しいし、約束を破られたら怒るし、信頼してる人に裏切られたら哀しいし、興味のあることを知るのは楽しい。その伝え方が、国籍や志向によって異なる。その観光コンテンツは、誰のどんな普遍的な感情に作用するものか。

 

寺社仏閣

寺社仏閣は、やはり今もキラーコンテンツ。悠久の歴史、宗教的ダイバーシティの象徴。科学全盛の時代においても、宇宙の真理をすべて解明できるわけではなく、宗教の持つ価値は下がらず、むしろ高まる。これからも人々の心の安寧をもたらす場所として、観光の恩恵をうけてもらいたい。宗教的な場所や儀式を直接換金化するのではなく、そこまでの行程(車でなければ行けない等)、ガイド(発言をただしく通訳してくれる)、宿泊(朝や夜にアクティビティをつくる)、などの工夫が必要。

 

 

価格の妥当性

ブランドができるまでは相場並みで我慢。MICEと富裕層向けには「圧倒的におもしろいこと」から逆算できるが、ツアーや個人客は明朗会計が求められる。

 

お遍路はハイク、湯治はリトリート

古い旅行文化が現代に価値を持つことはよくあり、使われなくなったインフラがもう一度使命を持つきっかけとなる。なぜ廃れたのか(小豆島のお遍路が衰退したのは、新規の顧客を作ってこなかったこと)、現代に持つ価値は何か、慎重に見立てること。

 

茶道は「Tea ceremony」ではなく「ZEN」で

相手の興味のある文脈でプレゼンすること。京都で茶道体験が人気なのは、茶道そのものというより、禅に興味がある人が調べているうちに茶道を知るから。体験すべきはお点前そのものではなく、茶道と禅の関わり、禅の手段としての茶道。そのうえで、静寂の和風空間における美しいお点前をするから響く。