お寺をライブ会場に見立てたイベントへ
去年の10月、妙心寺・長慶院で月を眺めたことを強烈に覚えています。文字通り五感を使って月を感じた夜となり、同時に「秋の月は妙心寺で」というプリンティングがされた夜となりました。2017年の中秋の名月を眺めるイベントが、同じ妙心寺の塔頭「養徳院」であるとお聞きして予約したのですが、せっかく楽しみにしていたイベントなのに、日中のミーティングが盛り上がってしまい、到着がギリギリに。市バスで「妙心寺北門前」に着いた頃には、日が暮れかけて、世界が今まさに移り変わろうとしていました。
敷地内を小走りで急ぎ、会場に到着すると、副住職の横江一徳さんが「身体を整える座り方」について話しておられました。背骨の湾曲を感じ、胸を張り、肩の力を抜く。胸いっぱいに息を吸い込み、3倍の時間をかけてゆっくり吐き出す。実践してみると、気持ちが仕事モードからゆっくり切り替わっていくように感じました。
岡野弘幹さんのライブ
法要を経て、お香の漂う中、インディアンフルート奏者の岡野さんのライブが始まりました。波動スピーカーを通して、寺院の中で聞くインディアンフルートの音色は、音はこちらに向かってきているのですが、地平線に向かって放っているような、不思議な感覚。音階がはっきりとしていて、規律を感じるギターやピアノは、決まった時間に昇る太陽のようであり、決まったリズムで寄せ返す波のようです。一方で、あいまいで、掠れたり強弱や抑揚がつくフルートは、人の歌であり、叫びであり、囁きのようです。それらが重なったとき、人と自然の調和を感じ、祈りを重んじるインディアン居留地の光景が見えるようでした。
物相飯(もっそうめし)
ライブの後は、精進料理をいただきました。懺法(せんぼう)という、知らず知らずのうちに戒律を破ってしまったことを懺悔する禅宗の修行があるそうです。かつて24時間交代でお経を読み続けていたこの修行では、代わりばんこに手早く食事をとる必要があり、そのためにひとつの器に盛られた精進料理を食べていたそうです。出汁のしみた椎茸、生姜が添えられた黒豆ご飯がとても美味しかったです。
11月も、妙心寺で秋の月を
この記事を書いていたら、Facebookで11月のイベントのお知らせが。「実は、平安京そのものが、アニミズムとシャーマニズム、さらに宇宙を主体とした思想哲学によって作られた町であり、今の京都はその上に存在しているのです。祇園祭や五山の送り火、そして葵祭の謎。世阿弥が残した古典能『翁』の舞、平安京の通りの数、京都の町と比叡山延暦寺の位置関係など、古代の智慧は何層ものレイヤーの中に眠っているのです。今回は、古代の信仰や修験道に造詣が深い二人の写真家が、アニミズムやシャーマニズムの視点、あるいは伝統文化や芸能に残された日本の霊性を頼りに京都にむけてのメッセージをスライド映像を交えてお話しします。」・・・この紹介文、今から心が震えます。「秋の月は妙心寺で」がさらに強くプリンティングされることと思います。