観光学は「金もうけ学」でいいのか?の問い

新型コロナの影響は、時に良い方向に働きます。アポイントがすべてキャンセルとなり、自宅待機を余儀なくされ、ようやく”積ん読状態”になっている本に手が伸びています。そのうちのひとつ、同志社大学の井口教授が執筆された「反・観光学」は、読んでいて「これだ!」と思うところばかり。今までこの本を開かなかったことを勿体無く思うと同時に、憎っくきウィルスに今回は感謝、です。

なぜ、この本に手が伸びなかったのか。それは答えが書いていないから、だと思います。今年の初めから、作ったプロダクトを売ること、そのための拠点と組織をつくることで頭がいっぱいで、そのための情報にしか触れていませんでいた。でも、それらをいったん無期限延期にしなければいけなくなったからこそ、こういった本質的なことが書いてある本を手に取り、じっくり考える機会になっています。答えが書いていないので、読んで「さあ、こうしよう!」とアクションにはつながりませんが、アクションをする方向性を考えるきっかけとなります。答えを作って行くのはこれからです。

 

僕が「これだ!」と思ったところ

この本は、「入込数」や「消費額」を殊更に重視する現在の観光政策を憂いて、「観光経済」や「観光経営」と対峙する概念として「観光文化」が必要だと説明しています。井口先生の考えにあわせて、柳田國男、内田義彦、宮本常一、司馬遼太郎、白洲正子、柳宗悦、南方熊楠らの思想から、観光とはどうあるべきかを示しています。僕が「これだ!」と思ったところを、以下に抜粋します(一部内容を編集しています)。

  • 文化を、観光や経済活動の単なる「手段」にするのではなく、「目的」とすることで、その「結果」としての持続性を伴う観光振興が図られるのではないか。
  • 文化と文明は違いに補い合うことで違いに豊かになる関係性にあるが、時に、文明の普及が文化を画一的なものに塗り替えてしまうことがある。
  • 今日の日本のまちづくりや観光の局面において、忘れてはならない文言が三つあると考える。ひとつは「観光之光」であり、地域社会の文化資源を示して観つめて、学ぶこと(易経)。もうひとつは「努力発国光」、つとめて地域の優れた人財を見つけ出し、育てて行くこと(易経)。最後は「近説遠来」、そのまちに住まう人が、己がまちに悦びと誇りを感じてこそ、初めて他所の人も訪れてくれる=住んで良いまちこそが、訪れても良いまちに他ならない(論語)。
  • 当たり前すぎて一見風采があがらないような日常の光景の中にこそ、本質がある。くらしのなかで文化を伝え継承し、さらには新たなものを生み出して行く上で、大切なことは、そのまちに暮らす人々が、ともにより良きまちの歩みを作っていこうとすることに対して、矜持とともに支え合えているか否かということ。
  • 調査というものは地元のためにはならず、中央の力を少しずつ強めていく作用をしている場合が多く、しかも地元民の人の良さを利用して略奪するものが意外なほど多い。
  • どのまちにも、それぞれが違った形で多様に暮らしをつむぎ、長い年月の中でそれを一つの文化として守り、「伝統」というものを形成してきた。そこに文化資源の存在を見出し、観光資源として矜持とともにまちの内外に伝えていこうとする営為の価値があることを認める必要がある。何気ない日常のくらし、当たり前のように流れていく生業のなかにこそ、観光資源を見出す努力と気づき(常在観光)を忘れてはいけない。
  • 新しく「ハコモノ」を作らずとも、観光資源はそこにあるのである。「江戸期のからくり人形づくりにヒントを得る→豊田佐吉が自動織機を発明する→豊田喜一郎とトヨタ自動車に至る」という努力の足跡が、豊田自動織機の第一号工場エリア保存修景を通して「トヨタ産業技術記念館」という産業観光文化を象徴する存在へと転化したのは、その一例である。
  • 「マス・ツーリズム=団体・集合型観光」とは、観光商品を大量に生産し、大量に消費することで、市民にとっては安価に観光が享受でき、事業者にとっては一定の利潤を確保できるシステムである。ただ、モノと同じように、そこには大量廃棄的な現象(いわゆる観光公害)が生じ得る。それに対して「オルタナティブ・ツーリズム」とは持続可能な観光という文脈で語られることが多い。
  • オルタナティブな視点を持っていた観光文化が、経年変化(メディアや業界の喧伝、デスティネーション・キャンペーンなど)の中でマス化していくこともある。ショー化、ブーム化の波の中で、長く守られてきたくらしの中での伝統的な風習を廃してしまうこともありえる。
  • 観光ブームは、ときとして過剰なまでの装いとお化粧で地域を塗り込んでしまう。その結果、心ある地方の若者たちは「素朴で力強い文化」や「古風であること」にこれでいいのかと惑い、一過性の強い流行の風潮に偽装されたかのような地方文化に翻弄され、自信を失う。若者たちが自信と勇気を持つ(取り戻す)ためにも、文明と文化の違いを認識し、己がまちの観光文化について今一度確認する必要があるのではないだろうか。
  • 高度経済成長がもたらした負の局面でもある文明と文化の葛藤(ディレンマ)は、「街道をゆく」のなかでもとりわけ「近江散歩」に顕著に表れている。秩序美を持つ時間的余裕が無いままに高度成長がきてしまい、土地所有についての思想と制度が未熟なままに経済成長の大波がきてしまった。
  • 不便であることも一つの文化であり得るが、それを投げ打って求めた効率化という文明の所作は、地方にくらす人々の生活のあり方の独自性をも棄却した。画一化された場所から創造性は生まれ難く、人のくらしと文化を怠惰なものへと陥さしめていく。江戸期は、江戸と京に価値が集中していたとはいえ、しかし諸藩にもそれぞれ独自な学問と文化があった。中央集権的体制であったが、「藩礼(地域通貨)」が象徴するように、一定の独自性が各藩のなかに存在し地域の特性に基づいた独自な文化が開花する余地があった。明治の文明開化は、すべてその吸収・配分機関を東京が受け持ったため、田舎との格差は開く一方であった。

 

インデックス

目次を以下に記しておきます。興味を持った方は、こちらから購入できます。

  •  文化と観光と人文知
    • 「観光」再考
    • 忘れてはならない人文知
    • 内田義彦が残した言の葉を手掛かりに
    • 「脱観光的」観光力
  • 柳田國男の警鐘
    • 経世済民、学問救世と民俗学
    • 「遊海島記」の世界に観る文化と警鐘
    • 今一度再考したい、文化とは?
    • 文化政策再考
    • まちつむぎと観光の所在
  • 宮本常一の憧憬
    • 民俗学への旅
    • 観光文化論の創始者
    • 観光資源と常在観光のススメ
    • 「若い人たち・未来」のために
  • 司馬遼太郎の葛藤
    • 日本とは、文化とは、文明とは?
    • 街道と文化
    • もう一度、近江に
    • 絶筆「濃尾参州記」の旅
  • 白洲正子の愛惜
    • 美をさらに輝かせるもの、それは楽屋裏
    • 湖北(江北)をゆく
    • 湖北とかくれ里
  • 柳宗悦の美学 -対峙して談じる柳と柳田-
    • 民藝の用の美というくらしの流儀
    • 民藝と民俗学
  • 南方熊楠の地平 -交して信じる柳田國男-
    • 南方のまなざし
    • 神社合祀令に抗して
    • 真摯な遊び心と真実